松井の敬遠

  唐突で大変恐縮だが、高校野球ファンの間でいつも是非が分かれているテーマが2つある。ひとつは「松井の5連続敬遠」、もうひとつは「野球留学」(秋田県では「桑田のホームランはファウルだった」を加えることもある)。

 ゴールデンウィークを利用して2回にわたり、このテーマについて述べてみたい。政治の話題でなく、すみません。今日は「松井の5打席連続敬遠」。

 平成4年夏の甲子園2回戦。星稜高校VS明徳義塾高校の試合でそれは起きたのだが詳細は割愛する。松井秀喜に対し、明徳ベンチは全ての打席で敬遠を選択。結果的に勝利したのだが、お盆の時期、大観衆で埋め尽くされた甲子園のスタンドからは明徳に対する激しいヤジが飛び、グラウンドにはメガホンが投げ込まれ、試合終了後の校歌が聞き取れないほど“暴動寸前”の事態に発展した。

 当時、大学生だった私は帰省していたので自宅でこの試合をテレビ観戦していた。甲子園が異様な雰囲気だったのがテレビからも伝わってきたのをよく覚えている。

 この明徳がとった采配に対して批判する側の理屈は「試合の勝ち負けだけが高校野球ではない。相手に正々堂々とぶつかっていくのが高校野球の本質だ」。一方、「是」とする側の理屈は「試合に勝とうと、ルールにのっとった中で採った当然の策だ」。

 私は昔も今も、明徳の采配には批判的だ。勝負に対して厳しく臨むのは当然の事だが、それでも高校野球はあくまでも教育の一環。プロ野球であったなら理解できるが、高校野球で全打席敬遠というのはちょっと・・・と思う。これは各々の高校野球観が違えば自ずと対立する問題だ。「是」とする側の意見にもうなずけるものがある。だから正解はない。

 あの日から明徳の馬淵史郎監督は世間の様々なバッシングにあった。抗議の電話、脅迫の手紙、そして試合中の罵声・・・。正直、私も馬淵監督は好きになれなかった。しかし彼は彼なりの「信念」のもと、指導を続け、ついに平成14年夏、甲子園初優勝を果たした。頂点に立ったその瞬間、ベンチで号泣する馬淵監督をみて、私の彼に対する嫌悪感が消えた。「この人も辛かったんだろうな」と。

 後年、馬淵監督は“松井5連続敬遠”対する取材にこう語っている。「答えは出んよ、一生」

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