全若東北ブロック研修会その②~岩沼市~これが住民主体の復興だ!

とんかつと神社の街。私にとっての岩沼市はそんなイメージである。仙台に住んでいた頃は、よく「とんかつ ふじ」に食べに行ってました。今は営業していないみたいですが。

全若東北ブロック研修会報告の続き。二日目は岩沼市で東日本大震災からの復興の取り組みとそこからつながる地方創生について学んだ。

岩沼市役所。すれ違う職員の方々が誰もが明るく挨拶してくれたのが印象に残った。

まずは菊地啓夫・岩沼市長が挨拶を兼ねて少しお話をされた。岩沼市の復興は計画の成果を2年ごとに評価していて、そこで出てきた課題を残り3年でクリアする仕上げの時期に入っている。そして、「復興から創生へ」を合言葉に施策を展開しているとのこと。地方創生は全国的に人口減少対策ではなく、経済対策になってしまっているとも指摘された。

菊地市長のお話の後は「岩沼市の復興まちづくり」というレジュメを使っての勉強。岩沼市は被災地の中でも極めて復興のペースが早かった。「コミュニティの維持」を一番に掲げ、地区単位での避難所・仮設住宅入居を実現している。これは孤独死防止の配慮からである。そして、震災後の5か月後に復興計画のグランドデザインを、その1ヶ月後にはマスタープランを策定している。

コミュニティの維持を基本に据えた岩沼市の復興の真骨頂は地区がまるごと集団移転した「玉浦西地区のまちづくり」に見てとれる。造成した玉浦西地区に津波で壊滅した相野釜、藤曽根、二野倉、長谷釜、蒲崎、新浜の6地区をきちんと区画して移転させた。ワークショップや32回に及んだ地区懇談会で移転のメドをつけ、それ以降については、それぞれの地区の住民等でつくられた「玉浦西地区まちづくり検討委員会」がその役割を担い、何回もワークショップを重ねて7つからなるまちづくりの方針をつくった。

今、玉浦西地区はそれぞれの地区が震災前とほぼ変わらぬ構成で町内会を組織し、それを束ねる「玉浦西まちづくり住民協議会」(連合町内会)を発足させて、住民自治を進めている。復興とは、以前の姿を取り戻すだけでなく、発展させることである。玉浦西地区はまさにそれを住民主体の考え方でやってのけた。仕掛けた行政、進めた住民。お互いの信頼関係なくして住民主体のまちづくりはできない。岩沼の素晴らしさがここにある。

市役所を後にして、復興~地方創生の現地視察。

玉浦西地区。


岩沼復興のシンボル「千年希望の丘」。



二野倉があった集落につくられた「いわぬまひつじ村」。


障害者就労支援施設「ひまわりのたね」。

久々に訪れた岩沼での研修は「!」の連続だった。震災という悲しみを奮起のエネルギーに変えて、地域を守り、発展させようとしている取り組みに感動したひとときであった。

P.S.研修後はしっかり「かつ吉」でとんかつを食べて、竹駒神社にお参りしました。

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