認め合う

先日、ネットのニュースサイトで「辺野古移設<容認>と<反対>の2人 交流を深めた2人のこれから」という記事を読みました。

先日の沖縄県民投票。米軍普天間基地の名護市辺野古移設に伴う埋め立ての是非は、投票した県民の約70%が「反対」の意思を示しました。複雑な問題だけに「静観」、要するに投票を棄権するというムードのある中で、投票率向上のために「反対」と「容認」真っ向から主張のぶつかる20代のふたりが“共闘”したという記事です。

インタビューの中でふたりは「相手に興味があったから」まずは会うことにしたと答えています。主義主張が異なっても、同じ世代が声をあげて行動している。その姿は自分に似ている、と。

ふたりはシンポジウムやラジオ番組への同時出演等で県民に投票参加を呼びかけました。結果、投票率は50%を超えました。もちろん、投票ではそれぞれ「反対」と「容認」に一票を投じ、今もその意見は変わっていません。

しかしながら、今回の“共闘”を通じて「自分と違う考えの気持ちを前よりも理解できた」こと、そして、「沖縄には多くの米軍基地が集中しており、国全体で見て基地負担に偏りがある」という共通の一致点を見出すことができた、と言います。

意見が違いながらも手を組んだことで、対話することの重要性に気づいた20代のふたり。その空気感が醸成されることによって、沖縄の未来が変わる可能性を感じました。

対立からは何も生まれません。お互いを認め合うことから何かが始まります。沖縄だけでなく、政治においても、そして日常の中においても大切にしたいものです。

 

 

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