福祉大を追い詰めた男

仙台六大学野球の春季リーグ戦が昨日から始まりました。コロナ下ということで開幕が遅れ、しかも一部の試合を東北大と宮城教育大が辞退する(不戦敗)という変則日程です。

先日の地元紙に仙六で活躍した方が載っていて、なつかしく感じましたので、今日はその話を・・・

仁部智さんは由利本荘市の出身。本荘高~東北学院大~TDKと進み、平成15年のNPBドラフト会議で広島東洋から5巡目で指名され入団。4年間在籍して通算8試合に登板、1ホールドという成績を残しています。

私が仙台の広告代理店に勤めていた頃、仁部さんは学院大のエースとして活躍していました。166㎝という小柄な体ながら、ストレート、変化球ともにキレがあり、三振を取れる投手でした。

4年秋のリーグ戦最終節。勝ち点を取った方が優勝という大一番の相手は25連覇中で無敵を誇っていた東北福祉大。主将は後にカープ一筋の現役生活を貫いた石原慶幸(敬称略)でした。

初戦を仁部さんの完封で快勝した学院大は第2戦も2点をリードし最終回の福祉大の攻撃を迎えました。マウンドには6回か7回(←あいまいです)から連投の登板となった仁部さんがいました。

実は私、この試合を現地(福祉大球場)で生観戦していて、福祉大の連覇阻止と学院大の昭和63年秋以来の優勝という歴史的瞬間を見届けられるはずでした。興奮度MAXでしたね!学院大野球部の女子マネ2人は勝利を確信し、今か今かとネット裏に張り付いていましたし、絶体絶命の福祉大はスタンドの控え部員が「石原さん!何でもいいから(塁に)出でけれ~!」と悲痛な叫びを上げていました。そう、先頭打者は石原慶幸でした。

結果的に先頭の石原を打ち取っていれば、学院大は優勝できたと思います。しかし、石原は仁部さんから意地の二塁打を放ち、そこからあれよあれとよいう間に福祉大が同点に追いつき、延長戦の末に学院大は敗れ1勝1敗。球場からの帰り道に友人に「福祉大、恐るべき底力」とメールした記憶は鮮明です。

翌日の第3戦は福祉大打線が3連投となった先発の仁部さんを攻略し、平成元年春からの連続優勝記録を26に伸ばしました。第2戦、仁部さんが登板した時に「(出す回が)ちょっと早いかな・・・」と思ったのですが、やはり疲れが出ましたね。

優勝を逃した学院大でしたが、当時としては最も頂点に近づいたチームの中心選手が仁部さんでした。私の中では「最強・福祉大を土俵際まで追い詰めた男」です。学院大が岸孝之(東北楽天・敬称略)らの活躍で久々の優勝を飾ったのはそれから5年後のことです。

社会人野球を経ての入団ですが、仁部さんは学院大初のプロ野球選手となりました。その後、学院大は投手を中心にプロ選手を輩出していますが、その先駆者といえます。まさに仙台六大学野球の歴史にその名を刻む投手でした。

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