今から23年前、平成4年のNPBセントラル・リーグのペナントレースは今シーズンと同様、ヤクルト、読売、阪神、広島東洋が熾烈な優勝争いを繰り広げていた。
中でも前年まで2年連続最下位と低迷、いや暗黒の時代にあった阪神は亀山努、新庄剛志といった若手やオマリー、パチョレックの外国人、そして投手陣も仲田幸司、中込伸、湯舟敏郎らの先発陣や抑えの田村勤が抜群の安定感を誇り、7年ぶりの優勝に向けてひた走っていた。
天龍源一郎がWARを旗揚げし、カズと設楽りさ子が婚約し、T-BORANの曲が流行り、天皇賞でレッツゴーターキンが勝ったその年、阪神の監督は中村勝広氏だった。
10月10日、シーズン129試合目で阪神は甲子園で野村克也監督率いるヤクルトとの直接対決で敗れ終戦。試合後の「中村自身、力不足でした」というコメントは今も忘れることができない。その年だったか、いつだったか、とにかく私の大学時代に阪神が仙台に公式戦でやってきた。残念ながら雨天中止となり、帰りの車に乗り込む中村監督の姿を見たのが最初で最後になってしまった。
GMとして最後まで阪神に尽くした。ファンに何を言われても阪神を愛した。ご冥福をお祈りいたします。
残り8試合。阪神、意地をみせろ!