終戦の日に

 65回目の終戦記念日を迎えた。毎年8月15日、横手では成人式が開催される。来賓として出席した後、高橋聖悟議員とお茶しながら、政治談議。

 成人式では冒頭、先の戦争で亡くなられた人々に対して黙とうが捧げられた。にぎやかな場内もその時ばかりは少しの静寂に包まれた。

 先日の会派視察研修の折、靖国神社を訪れた。一度この目で見、心で感じてみたくて、私が希望したのである。神社内の施設である遊就館は幕末から終戦に至るまでの、日本の歴史が詳しくわかるような展示をしていた。想像していた“戦争を賛美する”要素はなかったと私なりに思う。「百聞は一見に如かず」とは、この事だ。

 グッときたのは、やはり家族へ向けた遺書の数々。国のために死ねること、両親、妻への感謝、子どもへの想いが率直に伝わってくる。そして、「私に会いたくなったら靖国に来てください」と書かれている。靖国神社の存在意義はここにある。恐らく、「国のために死ぬこと」は本心ではなかった兵士が大半だったろうと思う。しかし、「家族を守るために死ぬこと」は究極の想いとして、あった。そして、あの時代はそうしなければ守れなかった。そんな悲しい時代だったのだろう。

 私は首相・閣僚の靖国神社への公式参拝には懐疑的な立場だ。だから、今回の菅首相の姿勢は良かったと思っている。しかし、それはあくまで、“国家”としての、そして“公人”としての話だ。

 「靖国で会おう」。そう誓って、散っていった先達の無念の想いと遺族のために靖国はある。私はクリスチャンだが、靖国を否定はしない。機会があったらまた、訪れてみるつもりだ。平和を祈念して。

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