新元号「令和」の由来となった万葉集の一節は、歌人の大伴旅人が太宰府長官だった頃に開いた宴で詠まれた「梅花の歌」の序文です。当時のお花見は桜ではなく梅だったんですね。
梅の歌といえば、思い出すのが前九年の役で敗れた陸奥国の豪族・安倍宗任です。捕虜となって京の都に送られた宗任にある貴族が梅の花を差し出し、「これは何の花?」と聞きました。田舎者に花の名前などわからないだろうと馬鹿にしたのです。それに対し、宗任はこう歌って返しました。
我が國の 梅の花とは 見つれとも 大宮人は 如何が言ふらむ(私の国では梅の花と言いますが、都の人々は何と言うのでしょうね)
皮肉も交えながら、陸奥国の文化が都に負けないくらいのものだということを宗任は証明してみせました。
時が流れて、あの伊達政宗も上洛の折、同じ仕打ちを受けました。今度は桜の花を差し出されます。政宗も歌で返しました。
都人 梅に懲りずに 桜かな(あんたらさ、梅で宗任に恥をかいたのに、また桜で恥かきたいの?)
東北を蔑視する言葉に「白河以北一山百文」があります。岩手県出身の第19代内閣総理大臣・原敬は自らを「一山」と号して藩閥政治に対抗しました。
東北のブロック紙である河北新報の題号の由来も「白河以北・・・」からとられています。蔑視に敢然と挑戦し、東北振興のための新聞でありたいという願いが込められているそうです。東日本大震災から8年が経過しましたが、河北新報は今も一面に死者・行方不明者の数などの被災状況を毎日掲載し、人々の想いに寄り添っています。
矜持と反骨心。昔も今も東北人が失ってはならないものだと思います。