「雛の論理」が発刊された時、私は大学生でした。バス停の位置を少し動かすだけでも国の許可が必要、という地方自治の限界と行政のしくみを初めて具体的に知りました。これを契機に国に物申す改革派首長が次々と現れ、地方分権の流れができたと思っています。
のちに内閣総理大臣となる細川護熙氏と共にこの本を著した、岩國哲人氏が亡くなられました。「雛の論理」を書かれた時は出雲市長でしたが、そこから国政に手を挙げ衆議院議員を務められました。地方“分権”はある程度進みましたが、地方“主権”への道のりは自公が政権に返り咲いて以来、遠くなっている感じがします。
今日は監査委員業務で平鹿地域局へ。第2期の定期監査が始まりました。ちなみに今月は先週火曜日に財政援助団体として、法人を含む4団体の監査を行っています。明日も大森で定期監査です。