川俣先生と最後にお会いしたのは昨年11月の下旬だった。ある会合でご一緒し、その後の懇親会では隣に座らせていただいた。いつもと変わらぬハリのあるお声でご指導いただいたその時間が今は思い出になってしまった。
衆議院議員連続8期。社会党右派の「政権構想研究会」の代表を務めるなど55年体制の一翼を担った社会党の中心人物として活躍された。平成5年の総選挙で落選し、そのまま引退。実はその時の選挙で自民党は下野し、社会党も加わった細川連立政権が誕生したのだが、川俣先生が当選していたら高い確率で入閣されただろうと思う。それほどの実力者であった。
引退後は日本・モンゴル友好協会の事務総長として両国の架け橋となった。その縁でモンゴル出身の大相撲力士とも交流があり、角界にも多大な関心を寄せていた。昨年頃から大相撲の本場所が始まると市役所本庁舎の受付横に番付表が置かれているが、それは地元の力斗と将豊竜に注目してほしいという川俣先生の提案だった。
私のような者に対しても、折に触れてハガキで激励され、そして声をかけていただいた。最後まで日本の政治の将来を案じておられた。
心よりご冥福をお祈りいたします。